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D昔の事を。

大地震で被害にあわれた方 がんばってください。 すごく頑張ってる人に 
がんばって なんて失礼かもしれないけど、ホントがんばってください。 
遠くから 応援しています。



昔の事を少し・・・

今回の大地震、発生からテレビで何度も、地震と津波の被害を見て、ホント なんて言ったらいいか

表現できないくいらいに、せつなくなる。 あの状況は 大変だと・・・

その、あの状況ってやつは  経験しなきゃわからんよね。

じつは、昔、少し似たような体験をしていまして・・・

北海道南西沖地震 奥尻島や瀬棚、江差の方面で地震と津波の被害がでた地震

もう、17か18年前になるのかな。 そこで、地震と津波、避難生活の 「災害現場」を体験しました。

P1000384-2.jpg

この写真は、自分の机マットに挟まっている写真。 

奥尻島の 青苗地区  見づらいですね。  漁港と、商店街が 津波と火事で 何も無くなった状態

この写真を撮ったのは、地震から2週間ぐらいたった時だと思う。 昔はデジカメなんて時代じゃなく

パノラマも無く、普通の現場カメラ、テープでつなぎ合わせてパノラマに。 

当時の写真は、これ一枚。 他には撮ってないし、撮ってはいけないと思ったし、撮る暇もなかったですね。




地震のあった日、奥尻島に居た訳ではないんです。 地震と津波は 直接体験はありません。

自分は当時、札幌の設備工事会社に勤めていました。地震は札幌で確か震度3ぐらいだったと思います。

夜10時過ぎだったと思います、仕事でススキノのビルで、すごいゆれだったねぇ なんて みんなで

棚をおさえたりしながら、驚いていました。

次の日の朝、テレビ等で奥尻や江差方面の被害をみてびっくり、会社に奥尻生まれの人もいたので

みんなで心配したりして。

それでも普通に、当時の札幌の現場をこなして過ごし、地震から3日目の朝、出社すると

誰か災害復旧で、奥尻島に行かなきゃならないって話が・・・

当時、大手ゼネコンの函館支社からの依頼で、ことわる事もできたのでしょうが 

勤めていた会社は 独身で地方出身のひとり暮らしは 自分だけで、

地方出張等は だいたい自分が担当していて、上司から どーする? と 

一応、選択肢はあったんですが、若かったし、災害復旧だし行ってみようと思い 「行ってみます」と 返答

1週間で帰ってきていいから~って 言われてましたが。 まぁ、最終的に22日間もいたんですが・・・

それからの準備は、会社のワゴン車に、道具一式、布団、テレビ、着替え、を積んで、出発。

地震から4日目、瀬棚港から、奥尻へ  

普通のフェリーは運休で災害復旧の人だけ 特殊な船に乗せられて車ごと海を渡っていきました。

奥尻の港に着くと、正面がいきなり、崖崩れでホテルが埋まり、たくさんの犠牲者が出た現場。

息を飲む って言うか、 その光景が 想像をはるかに超えていて・・・スゴイ不安になったのを覚えてる。



普段の奥尻島でも、自分がやってる職種は無く、何かあれば船で江差か瀬棚からやって来るんだそうで

簡単な修理などは、ガソリンスタンドが やってくれるとか・・・ そんな状態で

船を降りて 待っていてくれたのは、役場の担当者。役場の2階に案内されて打合せ

まだまだ、やっと道路が仮に走れるようになった状態で、ホント混乱してましたね。


まぁ、それからの仕事内容は まぁ、ホント 色々あった

風呂は一週間入れなかったし、飯は ぬるい缶コーラと菓子パン1つ が 2日間

自衛隊の缶づめも じばらくのあいだ 食ったなぁ。 

寝てたのは、山裾に建ってて がけ崩れの心配があるからと、住民は避難した空き公営住宅。

怖くて寝れなくて、誰かが車に積んだ焼酎を、水もないから そのまま飲んで寝た。当時は酒飲めなかったのに



毎日、地元の被害が少なかった地域の土木屋さん、江差からの職人さんと 毎日、災害復旧

エリアごとに、完了させた時は ホント嬉しかったし、感謝もしてもらえた。結構、

生活に重要な 職種だったなと・・・



復旧が 一段落して 江差の職人さんが 先に3日間だけ 家に帰るから その職人さんが

島に帰ってきたら 札幌に帰っていいよって 言われ 帰ってきたのは 8月お盆の前だった。

暑い夏だった事、覚えてる。スゴイ日焼けして札幌に帰った・・・

帰りの瀬棚行 フェリーは ホント泣けた 名前も知らない 地元の人も 手を振ってくれた。

あれから、きれいになった 奥尻の情報をテレビでみるたびに 嬉しくなるし、行きたくなる・・・




長々と 書いたんだけど 言いたいことは

災害現場

東北の地震を見ていて思う

救援物資は、企業のまとまった単位でって言ってるの よくわかる

個人は 義援金で って ハッキリ言ってるの エライ もっと ハッキリ言った方がいいし

気持はわかるんだけど、現場は混乱してるからね。

仕分けなんてできないよ。


奥尻の時、奥尻高校の体育館が 救援物資を集める場所だった

ボランティアの人が スゴイ人数で 仕分けしてた

それでも 追いつかないぐらい 送られてきた。

一度 新聞記事になった事があるはず(記憶がたしかなら)

救援物資を 燃やしたって 、すごい 批難の記事だったと記憶してますが

実情は違うぞ、 燃やしたのは 絶対着れない穴あき服とか下着とか

洗濯もしてないパンツ、汚物入りおむつなんてのも あったよ

ひどい話さ すべて津波でさらわれた、 だから なんでも送っていいってか?




現場にしか わからない苦労ある。

だからこそ、義援金で って  言える日本に なったこと スゴイと思います

モー少し 時間がたてば ボランティアや技術職等、必要とされてくるでしょう。

その時、その時に あった お手伝いをしましょう!    と  言いたかった。


がんばりましょう 日本 




でも、被災地じゃなくても  資材や機器 類  災害地優先やら買い占めやらで 全然 入ってこなくなってき

た。 もっともっと 大変になる 予感  
 
がんばりましょう 日本 。









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Secre

No title

そのときに会ったお手伝いですね・・・。
ブログを拝見し、現場の現実を改めて痛感しました。
過去に経験されている方々のお話は大切ですね。

「今日、本日、ただ今を生きるのみです・・・。」(byお市の方)
の言葉のように、残された人は大変でしょうが、
生き抜いていかなければならないと感じている、今日この頃です。

No title

今年度もよろしくお願いします!

今を一所懸命に生きることが使命とがんばります!

14300

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失礼。

丸熱さん

14300 丸熱さん  おめでとうございます
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